【一】 境界の影、白銀の警告
著:Ori子
その鋭どく黒曜石のように黒紫に鈍く光る角が、世界の「歪み」を敏感に捉えた。 大地の奥底で蠢く不穏な震え。数時間後にこの地を襲うであろう、容赦のない天災の足音。
白銀の毛並みを揺らし、アブソルは険しい岩山を駆け下る。目指すのは、人間たちが平穏に暮らす、山の麓の小さな街だ。
「……ッ、また出たぞ!」 「わざわいポケモンだ! あいつが来ると、必ず悪いことが起きるんだ!」
街の境界にアブソルが姿を現した瞬間、人々の顔に恐怖と嫌悪が走る。 向けられる冷たい視線。投げつけられる罵声。時には、怯えた手から放たれた石が、その美しい白い身体をかすめることもある。
アブソルは、反撃などしない。ただじっと、その紅い瞳で人々を見つめ、低く咆哮をあげる。 自分がこうして姿を魅せることで、人間たちが怯え、警戒し、結果として避難の準備を始めることを知っているからだ。
「アイツが現れると、災害が起きる」 「あれは、わざわいを呼ぶ化身だ」
そう言われ続けて、もうどれほどの時が流れただろう。 いざ不穏な気配を感じれば、どんなに拒絶されようとも、胸の奥にある「護りたい」という強い衝動が、すべての躊躇いを置き去りにして勝ってしまうのだ。
だが——アブソルにだって、感情はある。 向けられる刃のような言葉の数々に、胸の奥がチクリと痛み、深く、深く傷ついている。
避難が始まり、嵐が去り、やがて静寂が戻る。 アブソルは街から離れた遠い丘の影から、そっと人間たちの様子を見つめる。
「ああ、家は無事だったよ」 「みんな怪我もなくてよかった。本当によかった……!」
そこにあるのは、災害を最小限に抑え、生き延びた人々の、幸せそうな笑顔だった。 遠くで響くその温かい笑い声を聞くとき、アブソルの胸の傷は、まるで朝露が消えるようにスッと癒えていく。
(ああ、これでいいんだ。みんなが笑っているなら、それで——)
冷たい言葉の痛みなど、その笑顔の輝きひとつで、すべて忘れることができた。

【二】 陽だまりの特等席
澄み渡る青空から、柔らかな太陽の光が降り注いでいる。 緑豊かな草むらの上で、アブソルは丸くなり、静かに目を細めていた。
お気に入りの、日向ぼっこ。 時折、風に乗って遠くから子供たちの無邪気な笑い声や、街の穏やかな活気が聞こえてくる。アブソルは優しく耳をピクつかせ、心地よさそうに小さな寝息を立て始めた。
アブソルが「日向ぼっこをしながら、お昼寝をする」のが大好きなのには、理由がある。
それは、自分の角が、どこを探しても「災害の予感」を一切感じていない証拠だからだ。
世界が完全に平穏で、誰の笑顔も脅かされていない時。 その瞬間にだけ、アブソルは「わざわいポケモン」としての重い使命を忘れ、ただのひとつの命として、あたたかな陽だまりに身を委ねることができる。
遠くの笑顔を子守唄に、白銀の身体がポカポカと温まっていく。 予兆のない静寂のなかで微睡むこの時間こそが、孤独な彼の世界で、いちばん愛おしく、いちばん幸福な、最高の特等席だった。
(おわり)


